萱森 直子プロフィール

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プロフィール

プロフィール
「最後の瞽女」とよばれ 「記録作成等の措置を講ずべき無形文化財」 保持者として国から認定された長岡瞽女、故小林ハル氏(2005年105歳で死去)に師事

小林ハルが残した祭文松坂の節回し3種類を唄い分けるなど広範な演目を受け継ぐ。
師のすすめにより高田瞽女・故杉本シズ氏を通して高田系瞽女唄も習得し、 
長岡、高田、両系統の瞽女唄を直接伝授をうけた唯一の伝承者でもある。

「かつての瞽女の芸を風土や精神性とともに再現できる現代にまれな唄い手」 
として高い評価を得る。

弟子たちによるグループ「越後瞽女唄さずきもん」とともに全国で公演多数。
その公演は  「鳥肌が立ち 繰り返し震えを感じる」
         「圧倒的な迫力と存在感」・・・・・と評され、深い感動を呼んでいる

  
 
 新潟市民芸術文化会館(りゅーとぴあ)こけら落とし「ユーラシアオデッセイ」にてユーラシア各地のアーティストと競演
NHK「新日本紀行ふたたび」
NHK オーディオドラマ 「女歌 夢の道行」(石川さゆり主演)制作に参加
京都清水寺本尊開帳記念 奉納演奏
  石川さゆり主演舞台 「夢売り瞽女」のごぜ唄指導・三味線協力
毎日新聞「後継ぎの現状」・NHK「ジャパニーズソウル」など各メディアにも
その活動がたびたび紹介されている

2020年公開の映画 「瞽女GOZE」では瞽女唄指導をつとめている
2021年 著書「さずきもんたちの唄」(左右社)を出版

伝承活動に際し心がけていること

伝承活動に際し心がけていること

・・・「瞽女」ではない自分がうたわせていただく心構えとして、
絶対にやらないと決めていることまたしてはならないと教わったことがあります。

掟、年季、身なり、慣わしなどについて、
瞽女のまねをしてはならない、
瞽女であるかのようにふるまってはならないということです。
「瞽女の誇り」を侵してはならないと言い換えるとわかりやすいでしょうか。

形だけまねをして瞽女らしさを演出すること・・・
それは瞽女として生きざるを得ず苦労を重ねた師匠をはじめとするごぜさんたちに対して非礼になるのだと、
稽古の日々の中で具体的な事柄を通して何度も教えられました。

Q.瞽女唄と津軽三味線、どちらを先に始めたのですか?
A.津軽三味線です。

伝承活動に際し心がけていること

教室を始めて十年程たったころから、津軽三味線というジャンルがどんどん洗練された派手な都会的なものになってゆくことにジレンマを感じていました。
練習すればするほど、自分がこの芸に感じていた一番の魅力・・・・
土くささや生活のにおい、精神性に裏付けられた圧倒的な存在感・・・・
そうしたものが失われていく気がしたのです。

そんな時に小林ハルさんの瞽女唄と出会いました。
ふるさとのにおい、初めて聞くのになぜか感じるなつかしさ・・・・。
手っ取り早い効果を求めがちな今の時代や、「芸術」という言葉に汚されていないものが
ここにあった!
そう思いました。

瞽女唄と出会い、私の津軽三味線も変わりました。より高度な完璧なものをめざすことから、人を癒すことのできるゆったりとした心地よさへ。それが私のめざす音楽です。

小倉英樹さんの絵をご紹介します

伝承活動に際し心がけていること

小倉さんは眼の病気を患っておられ、わずかな視力でこの絵を描いてくださいました。

以下は添えられていた文の一部です。

「私と同じ世界の人たちだ・・・」実在した瞽女さん達のことを見にくい眼で本を調べているうち萱森さんの瞽女唄にたどりついた次第です。
音楽について明るくないため気の利いた感想も出てこないのですが、
見にくい目で昔を思い出して絵を描きまして感想の代わりなんですどうぞ・・・
多くの瞽女さんの中には「私も眼が欲しい・・・」と。
思って雪の中に消えていった方もいたことでしょう。
今萱森さんという眼を得て喜んでいることでしょう。
今後も瞽女唄という灯が消えませぬよう。


このようなお便りをいただくとき、目の見える自分がこの芸に関わっていることの重大さをあらためて感じます。眼が見えないということの苦労やその暮らしを軽々しくわかったようなことを言ってはならないのだと。・・・



「瞽女の誇り」 は萱森直子の大きなテーマのひとつです。

ごぜ唄と萱森直子の公演以外活動

特別養護老人ホーム「はまゆう」での《ごぜうたの会》

特別養護老人ホーム「はまゆう」での《ごぜうたの会》

毎年となりにある愛慈保育園のきりんぐみの子供たちと訪問しています。

施設の方たちは恒例行事として楽しみにしてくださっておられ、
この日も子供たちが登場しただけでその場の雰囲気がぱっと明るくなりました。

子供たちとの唄は「瞽女万歳」

日ごろから「おじいちゃんおばあちゃんに楽しんでもらおうね!」と
先生がたと言葉を交わしていた優しい子供たち。
しっかりと入居者の方々の顔をみながらのあたたかい唄でした。
入所者の方々から1本ずつ花をいただき、握手をかわした子供たちのうれしそうな顔、
そして高齢者の方たちの幸せそうなご様子・・・
唄が人と人をつないでいることに喜びをかんじます。
子供たちが退場したあとは萱森の「祭文松坂」を聞いていただきました。
長く入所していらっしゃる方も少なくないので、毎年違う演目になるようにこころがけています。
この日は『石堂丸・一の段』を「長岡瞽女屋の節回し」でうたいました。

東日本震災被災地支援

ごぜ唄と萱森直子の公演以外活動

和服の寄付をありがとうございました。
カリフォルニアで販売活動をしてくださった方々をご紹介します。

大阪で教師をしていた頃の同僚、清地恵美子さんから震災見舞いのメールをいただいたことがきっかけとなり、家庭にねむっている不用になった和服をアメリカで販売して売り上げを被災地へをおくる活動がはじまりました。
地元新聞新潟日報さんのご協力を得て多くの方から寄付をいただき、和服500点あまりを販売、義援金に変えることができました。

並々ならぬ熱意と労力とでこの活動にかかわってくださった。
カリフォルニア州できました。ことを記録しておきたく、ここにご紹介します。

活動に関わって下った方々の紹介

活動に関わって下った方々の紹介

上写真右から
清地恵美子さんこのたびの活動を発案、マスコミ取材への対応、広報イベントに出席するなど日米の和服義援金活動をつないでくださいましたアーバインカレッジの講師をしておられます。

園山芳枝さん活動の会計を担当、また店番や着付けなどもしてくださいました魚沼ご出身、テレビ会社におつとめです高校生の日本語スピーチコンテストのお手伝いや活け花を教えるなどなどもなさっているそうです。

トレ・もとこさん毎朝7時半から湖畔で太極拳のリードをとっていらっしゃる方、和服がお好きなことを知った太極拳のおなかまのご縁で活動に参加してくださいました。

塩川純恵さん長く茶道をやっておられ和服に詳しく、品物の仕分けや着付けなど重要な役割を担ってくださいました。1日で何十人も着付けたこともあるそうです。

藤田貴美子さん音楽教室を経営しておられオークションやバザーなど外部での販売機会やマスコミの宣伝機会を開拓ご紹介くださったりご自分の教室での販売などしてくださいました。震災1周年の募金イベントにも場所を提供してくださったとのことです。

石井文子さんアーバインカレッジの教授でいらっしゃいます。
この方の人脈と熱意、膨大な労力と時間なくしてはなりたたなかったと、
清地さんよりお聞きしています。みずからが着物をきてデモンストレーションするなどして大学の文化祭、ロスアンジェルスの2世ウイーク、映写会、音楽教室、ネット販売など、
あらゆる機会を捉え活動してくださいました。

義援金を生み出すばかりでなく、日本の文化を広く知り楽しんでいただくことにもつなげることができ ました。
また私自身がこうした方々と心をつなげることができたことも大変嬉しいことでした
被災地の復興はまだまだです。できることを重ねてゆかねばならないと思っています。

この活動に対しオレンジ郡日系協会から感謝状がおくられ、またアーバインカレッジのGlenn Roquemore博士からも感謝状をいただいたそうです。

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